5.「従う」とは
主イエス・キリストの命令を行うことです。神の御心を信頼しているので、その命令を行うために、自分の権利や都合を主張せず、主が私に何を命令しておられるのかを、いつも聞こうとしています。忠実なペットの犬の様子に似ているかもしれません。主人をじっと見て、自分のことをしていても、あらゆる感覚を主に向けて、命令を待っています。主が「しなさい」と言われたことに、「出来ません」と言いません。喜んでやってみます。失敗したら、悲しい顔になりますが、すぐに次はどうすればよいか、主人の命令を仰ぎます。主人は、その子の力量に応じて、するべきことを与えてくださいます。
主が言われた通りにする時は、実は主がしてくださっているのです。ですから、失敗した時は、自分の工夫が混ざったのです。自分で工夫して出来るということは誘惑なのですが、実はそれは風を見るようなことなので、悔い改めて、自分を捨てる、これを繰り返して成長させられます。
シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。(ルカ5:5-6)
主のことばどおりにしたので、成功しました。
イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。(マタ14:29-30)
主から目を逸らして風(見える世界)を見たので失敗しました。
弟子はキリストの者となったので、世に属さなくなりました。
世に属する人としての自分が、キリストの十字架に与って、死にました。肉の人が死んで、霊によって新しく生まれたので、その人は、キリストの復活に与って、永遠の命を持って生きる者とされました。
肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。(ヨハ3:6)
ですから霊から生まれさせていただいた人は、「聖霊を下さい」と求め続けます。
あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。(ルカ11:13)
しかし、「もう霊によって生きているのだから天使たちのようにただ主に従っていられる」のではありません。天使のように実際に完全にされるのは、復活後です。今は、神の国の国籍をいただいた者として、地上で歩んでいるので、自分を捨てて、心に霊をいただいた自分の意志で、考えて、主がしてくださったことに応答します。「私の思いまで支配してください」と願うことも出来ます。
主の側では贖いは完成しています。けれども、人の側では、まだ肉が空中の支配者(エフェ2:2)の下にいるので、弟子は、力を尽くして主を選んでいなければなりません。
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。(エフェ6:12)
心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。(マル12:30)
弟子は、イエスさまについて行きました。今は、使徒たちのように、イエスさまが帰ってしまったので下さった聖霊に、従って行きます。自分の都合ではなく、聖霊の導かれるところへついて行きます。聖霊が、主イエス・キリストによって完成された律法(イエスご自身・イエスの御言葉)を持って、導き、行わせてくださいます。
弟子は、主イエスを「信じた」だけではなく、従います。
弟子になる人には「従いなさい」と言われています。
本来「信じる」と「従う」は同じ意味なのです。「聞く」も「聞き従う」という意味です。信じる人は従うからです。それが「信仰」です。
アブラハムの信仰は、その行いと共に働き、信仰が行いによって完成されました(ヤコ2:22)。
主の民が信じるために与えられたモーセの律法は、それに従順に従った神の子ナザレのイエスによって、完成されました。
主は、主の民が主を信じるために、モーセを通して人の近くに降りて来られ
主はモーセに言われた。「見よ、わたしは濃い雲の中にあってあなたに臨む。わたしがあなたと語るのを民が聞いて、いつまでもあなたを信じるようになるためである。」(出19:19)、
主の御言葉は、全ての人がそれを信じるために、イエス・キリストとして人の間に住まわれ
言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。(ヨハ1:12)
言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。(ヨハ1:14)、
そのとおりに行われることによって成就しました
わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。(マタ5:17)。
人は、人の行いによって救われたのではなく、神の行いによって救われました。
ですから人は、それに応え、従います。
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。
(ヤコ1:22-24)
わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。
(マタ7:26-27)
御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。(ヨハ3:36)